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+ シチリアの写真をUPしました。
  お時間がありましたら、ご覧下さい。

  →fotologue 『sicilia』
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by plus-zero | 2008-07-27 09:06 | 雑記
+ スケールの問題
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+ “スケール”という言葉は建築を生業としている人間には馴染み深いものである。
  建築というものは基本的に、色々な意味において大きいものであるから、
  設計を行う際、様々なスケール(縮尺)の図面や模型を利用する。
  そして、1/500や1/100の図面では敷地周囲と建物の関係、
  1/50の図面では前面道路や隣地と建物、その内部の関係、
  1/30や1/20の図面では主に建物内部やその寸法の関係、
  1/5や1/2(時には原寸)の図面ではモノとモノとの納まりの関係というように、
  同じ建物の図面であっても、そのスケールによって、
  そこに見るものは変わってくる。
  最終的に1/1のスケールの実物が出来たときには、
  そこには図面などでは予測できなかった効果などもあったりして、
  それが建築設計の難しさでもあり、楽しみでもある。

  ここ数ヶ月、中国の四川省や岩手・宮城内陸で大地震があったとき、
  複数のニュース番組などで
  「地球内部のマントルが対流し、その上にのっかっている複数のプレートが動いている」
  という地震のメカニズムについての説明を何度か耳にした。
  マントルとは、つまり大きな岩である。
  岩という硬い固体が対流するとは、どういうことだろう?
  対流とは暖房された空気とか、お風呂を沸かすとか、
  液体とか気体の性質のことではなかったか?
  気になって調べてみると、
  時間というものにも“スケール”がある、ということに気づいた。

  ある大学の研究室でこんな研究があった。
  完全に温度調節された部屋に、天井から金属にオモリをつけて吊るしておく。
  何十年も吊るしておくと、その金属はいわば無際限に伸びていく。
  (温度調整されているので、これは熱膨張によるものではない。)

  マントルも金属も、
  人間的な短い“スケール”の時間で見れば「固体」のように振舞うが、
  もっと長い時間の“スケール”で見ると「液体」のように振舞うことがある。
  つまり、「固体」か「液体」かということは、
  どういう時間の“スケール”でものを見るかによって変わってくるらしい。

  僕らの周りに広がっている世界も、
  それを見る時間の“スケール”をどう設定するかによって、
  ちがった側面が見えてくるのかもしれない。
  宮澤賢治の
  『わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電灯の/ひとつの青い照明です』
  という詩のように。

  ps.
  この投稿を終えてすぐ、岩手北部でM6.8の大きな地震がありました。
  深夜ということもあり、心配です。

  
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by plus-zero | 2008-07-23 23:43 | 雑記
+ ”あるがままの自然”?
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+ 自分が今見ている世界とは何だろう?
  自分とは関係なく、誰が見ても同じであるような確たる世界というものがあって、
  自分はただそれを切り取っているだけなのか?
  それとも、自分が持つ心象などのフィルターを通して編集された世界を
  見ているだけなのだろうか?

  「生物から見た世界」 (ヤーコブ・フォン・ユクスキュル著)が出版された当時、
  あらゆる“知覚”と、
  それまで“知覚”というものを語る上で切り離されてしまいがちの“主体(主観)”を、
  その両方を結びつけようと試みた画期的なものであったらしい。
  ユクスキュルはこの本で、
  ダニやハエ、ミミズ、ミツバチ、ヒキガエル、コクマルガラスなど、
  それらの生物には世界がどう見えているのかではなく、
  それら生物が世界をどう見ているかを語る。
  そしてそれらから、
  「あらゆる生物はそれらの主観などのフィルターで加工された世界しか見ていない」
  という提言が浮んでくる。
  ユクスキュルは、
  上のような加工された世界を“Unwelt(環世界)”、
  加工される前の世界を“Umgebung(環境)”と名づけ、二つを分けた。

  どうも主体というものはシャボン玉のようなものなのかもしれない。
  主体はシャボン玉の中に閉じ込められた空気のようなもので、
  常にそのシャボン玉の膜(フィルター)を通してしか世界を見ることができない。
  シャボン玉の外に広がる世界が“Umgebung(環境)”であり、
  シャボン玉の膜に映りこむ世界が“Unwelt(環世界)”であって、
  主体は常に膜に映りこむ世界“Unwelt(環世界)”しか見ることができないでいる。
  シャボン玉の外に広がる世界“Umgebung(環境)”を見るためには、
  その膜を破る必要があるが、
  そうすると主体というものは外へ拡散して、消滅してしまう。

  近年の地球環境問題が語られる中で、
  “あるがままの自然”とか“ありのままの世界”といった言葉を何度も耳にするけれど、
  実のところ、誰もそれを見たことはない、ということかもしれない。
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by plus-zero | 2008-07-18 20:16 | 読書
+ 『魔法としての言葉~アメリカ・インディアンの口承詩~』 (2)
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+ エスキモーの人たちは、あらゆる生きものや山、川、草、木、
  そして太陽や雨や風や月の満ち欠けといった自然現象さえ、
  自分たち人間と同じように生きているものと考えていた。
  万物にはそれぞれのイヌア(所有者)が生活し、
  それは人間の姿をしていると信じていたのである。
  イヌアを仲介して、エスキモーの世界は自然と超自然が一体となっていた。
  そしてエスキモーの人たちは生まれ変わりを信じていたらしい。
  動物を人間と区別しない彼らは、当然、動物も生まれ変わると信じていた。
  たとえばカリブーを仕留めると、その場所に頭部を切り落として残してゆくという。
  カリブーは次の季節に毛皮を着て、肉を付けて戻ってくると信じていたからである。

  こうした世界のとらえ方、また生まれ変わりといった考え方、
  すべてのものが魂を持ち、世界を共につくっているという彼らの謙虚な姿勢は、
  人間が自然の中で行き続けてゆくための、
  いわば知恵のようなものであったのかもしれない。
  たとえば生まれ変わりを信じるという知恵、
  それは来世という先の未来に責任をもって今を生きるということにつながってゆく。
  彼らはそういった遠くにかすかに見える地平線のさらに向こう側を
  わずかにでも感じ続けようとしながら生きることで
  この大地にまっすぐ立つことができたのであろう。

  しかし、20世紀に飛躍的に発達し、今を生きる多くの人たちが
  ひとつの大きな価値基準としている科学というものは
  こういった知恵を認めようとはしないであろう。
  つまり、科学的には真実ではない、ということになってしまう。
  しかし、それでは真実とは何なのだろう?
  もし僕らの生活に一輪の花を添えるものでなかったら一体何のための真実なのか?
  逆にいくら科学的に真実ではないとしても、
  それが僕らの生きざまに少しでも彩を与えてくれるものであるならば、
  それはそれでれっきとした真実なのでは?
  科学は僕らを宇宙へと連れて行ってくれるかもしれないが、
  彼らのような精神的にも想像力的にも豊かな生活には
  僕らを導いてはくれないのかもしれない。
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by plus-zero | 2008-07-15 19:44 | 読書
+ 『新しい住まいの設計』 (扶桑社) 12月号(10/21発売)
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+ 『新しい住まいの設計12月号(10/21発売)』 <扶桑社> に
  「百合丘の家」が掲載されます。
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by plus-zero | 2008-07-07 19:15 | 百合丘の家
+ 『india』
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+ 私がインドに行った時に撮った写真を整理するついでに、
  fotologueにupしてみました。
  お時間がありましたら、ご覧下さい。

  →fotologue 『india』
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by plus-zero | 2008-07-01 00:57 | 雑記
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