+ ARCHITECT         - 天を測る -



佐藤森|+0一級建築士事務所のblog
by plus-zero
にほんブログ村 デザインブログ 建築デザインへ
にほんブログ村
◇+0一級建築士事務所
東京都渋谷区本町6-21-1 B1F

TEL:03-5309-2982

+0一級建築士事務所HP



カテゴリ
全体
+0一級建築士事務所
設計の流れについて
掲載誌
王子の家
CASA ESPIRAL (西宮BLD)
クラスターハウス(小田原の家)
鶴ヶ峰の家
赤塚の家
中目黒の家
上丸子の家
保土ヶ谷の家
つくばみらいの家
BFM神楽坂
百合丘の家
読書
雑記
ライフログ
掲載誌
王子の家
CASA ESPIRAL
クラスターハウス
中目黒の家
上丸子の家
BFM神楽坂
保土ヶ谷の家
つくばみらいの家
百合丘の家
コラム・批評
王子の家
以前の記事
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 05月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
検索
その他のジャンル
最新の記事
+ 『新建築 住宅特集』 5月号
at 2018-04-22 14:31
+ ”王子の家”撮影
at 2018-03-27 16:14
+ HPに”王子の家”のペー..
at 2018-02-10 14:11
+ HP ”クラスターハウス..
at 2018-02-10 14:06
+ new year 2018
at 2018-01-02 10:34
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
+ 『魔法としての言葉~アメリカ・インディアンの口承詩~』 (2)
f0037748_19301559.jpg


+ エスキモーの人たちは、あらゆる生きものや山、川、草、木、
  そして太陽や雨や風や月の満ち欠けといった自然現象さえ、
  自分たち人間と同じように生きているものと考えていた。
  万物にはそれぞれのイヌア(所有者)が生活し、
  それは人間の姿をしていると信じていたのである。
  イヌアを仲介して、エスキモーの世界は自然と超自然が一体となっていた。
  そしてエスキモーの人たちは生まれ変わりを信じていたらしい。
  動物を人間と区別しない彼らは、当然、動物も生まれ変わると信じていた。
  たとえばカリブーを仕留めると、その場所に頭部を切り落として残してゆくという。
  カリブーは次の季節に毛皮を着て、肉を付けて戻ってくると信じていたからである。

  こうした世界のとらえ方、また生まれ変わりといった考え方、
  すべてのものが魂を持ち、世界を共につくっているという彼らの謙虚な姿勢は、
  人間が自然の中で行き続けてゆくための、
  いわば知恵のようなものであったのかもしれない。
  たとえば生まれ変わりを信じるという知恵、
  それは来世という先の未来に責任をもって今を生きるということにつながってゆく。
  彼らはそういった遠くにかすかに見える地平線のさらに向こう側を
  わずかにでも感じ続けようとしながら生きることで
  この大地にまっすぐ立つことができたのであろう。

  しかし、20世紀に飛躍的に発達し、今を生きる多くの人たちが
  ひとつの大きな価値基準としている科学というものは
  こういった知恵を認めようとはしないであろう。
  つまり、科学的には真実ではない、ということになってしまう。
  しかし、それでは真実とは何なのだろう?
  もし僕らの生活に一輪の花を添えるものでなかったら一体何のための真実なのか?
  逆にいくら科学的に真実ではないとしても、
  それが僕らの生きざまに少しでも彩を与えてくれるものであるならば、
  それはそれでれっきとした真実なのでは?
  科学は僕らを宇宙へと連れて行ってくれるかもしれないが、
  彼らのような精神的にも想像力的にも豊かな生活には
  僕らを導いてはくれないのかもしれない。
[PR]
# by plus-zero | 2008-07-15 19:44 | 読書
+ 『新しい住まいの設計』 (扶桑社) 12月号(10/21発売)
f0037748_1915724.jpg


+ 『新しい住まいの設計12月号(10/21発売)』 <扶桑社> に
  「百合丘の家」が掲載されます。
[PR]
# by plus-zero | 2008-07-07 19:15 | 百合丘の家
+ 『india』
f0037748_053221.jpg


+ 私がインドに行った時に撮った写真を整理するついでに、
  fotologueにupしてみました。
  お時間がありましたら、ご覧下さい。

  →fotologue 『india』
[PR]
# by plus-zero | 2008-07-01 00:57 | 雑記
+ 『魔法としての言葉~アメリカ・インディアンの口承詩~』 金関寿夫著
f0037748_21163747.jpg


+ ずっと、ずっと大昔、
  遥か彼方、遠くの大地でのこと。
  そう、5百年以上も前、
  すこしオッチョコちょいのコロンブスさんが、
  たまたま行き着いた大陸をインドだと勘違いしてしまい、
  そこにもう2万年以上も前から暮らしていた先住民(ネイティブ・アメリカン)たちが、
  いつしか迷惑にも”インディアン”と誤解されたまま、
  そう呼ばれるようになる頃よりもさらにずっと昔。
  そんな、気も遠くなるような
  そして、まるで想像も出来ないほどの大昔、
  芸術や文学といったものはなかった。
  なぜなら、
  陽が昇ると同時に目覚め、
  陽が落ちると同時に星を見上げながら眠りにつくような、
  太陽の動きと共に生活をし、
  雨に濡らされ、
  風に吹かれ、
  植物や狩猟をしたものを食べ、
  断崖の洞窟の中や樹の皮や動物の皮で蔽った簡素な住居に暮らす人たち、
  そんな大地にまっすぐ立って生きていたような人たちのすべてが、
  芸術家であり、哲学者であり、詩人であり、
  わざわざ芸術とか文学とか哲学とか云うまでもなく、
  その人たちの生活自体が、芸術であり哲学であり詩であったから。
  なぜそんな幸福な世界がありえたのか?
  それは誰も説明できない。
  時間や地理的な隔たり以上に、
  今の僕らの感性自体が、
  そんな彼らとは遥かに大きく隔たってしまっているから。
  ただ、かつて、この地球上に、
  そんな世界が、あった・・・。

  『魔法としての言葉 ~アメリカ・インディアンの口承詩~ 』を読んでると、
  御伽噺の中にしかないような、そんな世界が思い浮かんでくる。

  (上の写真はインドの、とある村の民家に描かれた壁画)
[PR]
# by plus-zero | 2008-06-30 21:23 | 読書
+ あいまいな境界
f0037748_20284164.jpg


+ 以前、ある新築住宅の庭先に植える樹を探しに行った時のこと。
  畑まで案内してくれた植木職人さんからこんな話を聞いた。
  「肥沃な土1グラムには1億匹の微生物がいる。」

  それ以来、街中を歩いていても、
  街路樹の植え込みやそれまであった建物が壊されて土があらわになった空地、
  アスファルトのひびからのぞく土などを見ると、
  時折この話を思い出すことがある。
  そこの土1グラムには何匹の微生物がいるのだろう?
  たとえ1割しかいないとしても1千万匹の微生物がいることになる。
  スプーンにかるく1杯ほどの土に10000000の微生物。
  今自分が歩いているアスファルトの下にも
  数知れない生命がうごめいているのかもしれない。

  そんなことを考えていると、
  土は物質なのか、それとも微小な生命の塊なのか?
  その境界が曖昧になってくる。
[PR]
# by plus-zero | 2008-06-20 20:32 | 雑記
+ 沙漠に咲く花
f0037748_15411987.jpg


+ この写真はアラビア半島のルブアルハリ沙漠を上空から見たもの。
  “ルブアルハリ”という言葉には「空白の地域」という意味があるらしいが、
  その「空白の地域」に無数の緑色をした円形のものが点在している。

  これは「円形農場」と呼ばれているもので、主に小麦などを生育しているらしい。
  降水量の少ないはずの、こんな沙漠の中になぜ?とも思うが、
  ここの灌漑には地下水を利用している。
  その地下水とは、この沙漠がまだ緑豊かであった1万年以上も前の雨水が
  地層の中に閉じ込められたもので、「化石水」とも呼ばれているもの。

  その「化石水」を出来る限り有効利用するための工夫の結果、
  農場はきれいな円形を描くことになった。
  従来のスプリンクラーでは広く空気中に水を散布するため、
  蒸発による水の無駄な消費を抑えられない。
  よってここでは、ピポット灌漑式という灌漑方式が採用されており、
  円の中心で地下水を汲み上げ、そこを軸に長いパイプをゆっくり回転させることで、
  作物に水を供給している。
  上の写真で時計の針のように見えるのが、そのパイプである。
  (長いものでパイプは500m程ある。つまり大きいもので円形農場の直径は
   1km程もある。)

  ただ、この「化石水」は現在ではほとんど補給されることがないので、
  今のペースで水を使い続ければ、2040年には枯渇してしまうとも言われている。
  そのことを思うとこれらの「円形農場」は、
  残された時間を自ら刻む、時計のようにも見えてしまう。
[PR]
# by plus-zero | 2008-06-11 15:50 | 雑記
+ 向こう側    ~ 『示現』  日野啓三 著 ~
f0037748_23395188.jpg


+
 ここではない何処かへ、ここにはない何かを、
  目に見ることもできず、手にも触れることのできぬ何かを、
  かすかにでも感じながら生きたい、
  そう考えている人が、わずかではあっても、いる。

  日野啓三。
  僕にとって彼はそんな人たちの一人である。
  彼には「夢の島」や「砂丘が動くように」といった
  読むものの世界観を大きく揺さぶる大型台風のような
  たいへん優れた中編小説もあるのだけれど
  ここでは敢えて、そよ風のような短編小説、
  「示現」について触れる。

  この小品には、いわゆるストーリーといったものはない。
  僕はこの作品の最後にある、
  オーストラリアを旅する主人公である男とアボリジニの老人との会話の部分、
  そこがとりわけ好きなのだ。
  そんな、わずか十数行ほどの部分があるだけで
  その作品全体、その作家自身が好きになってしまう、
  そんな小説も時には、ある。

  世間では恋愛小説といったものの類ばかりがもてはやされているけれど、
  彼はそういった類の作家ではない。
  彼は作品を描き続けることで、それとはまったく異なったものを求めている。
  それは何かと言えば、
  日常の生活の中では得られない何か、
  ここではない何処か、ここにはない何か、
  眼に見えるものではない、手に触れることもできない、
  けど、もしかしたら、
  この世界を秩序付けている真理といったようなものがあるかもしれない、
  そういった「向こう側」(これは彼の処女作品のタイトルでもある)の世界、
  そんな、あるんだか、無いんだか分からない、
  いや、恐らくは見つかるはずも無いような別世界へ通ずる回路のようなものを、
  彼は作品の中で求め続けている。
  この「示現」という作品は、
  そんな「向こう側」の世界を探し続けている作家が
  僕らに送って寄こしたそよ風である。


  主人公は、地平線の向こうからやってくる風に吹かれる中、
  いつしか、アボリジニの老人と荒れ始める平原を見つめていた。
  主人公は老人に、なぜかふと、
  「普通なら未知の他人にいきなり口に出来ないような質問」をする。
 

   「人間、死んだら、どこに、行くのだろうか」
  
   その老人は、そんな質問に驚くことも無く、
   それはまるで、通りがかりに道を尋ねられでもしたように落ち着いて、
   片手を上げて人さし指を黙って空に向けた。
   「では、空に上がって、何になるのだろう」
   続けて私は尋ねた。
   途端に老人は俯いて片手を口に当て、クックッと小声で笑い出した。
   おかしくてたまらないという様子なのだ。
   子供でも知っているそんなことを、いいおとなが本気できくなんて、
   という仕草だった。
   ひとしきり屈みこんで笑い声を洩らしてから、上体を起こして、
   老人ははにかむように一語だけ答えた。

   「風ーウィンドー」



  僕はこの部分を読むたびに、
  まるで、そよ風に吹かれる中に立っているかのような、
  そんな快さに包まれてしまう。


  (上の写真は、イスファハン(イラン)のモスクにて撮影したもの)
[PR]
# by plus-zero | 2008-05-17 23:56 | 読書
+  『百年の愚行』     ― Think the Earth Project 発行 ―
f0037748_19424577.jpg



+ 写真集というものは便利な本である。
  時折、思い出したように手に取り、パラパラとページをめくってみる。
  それは一杯のコーヒーを飲んだり、トイレの中にいたりなどの、
  ほんのちょっとした短い時間。

  写真集はそんな、ちょっとした時間を過ごすのに都合のよい本である。
  文章などと違って、写真には時間の流れという構造が無いから、
  始めから順を追って読む必要が無い。
  ただ思い思いに、ページを操っては、気になった写真を眺める、それでよい。
  しかし、この『百年の愚行』という写真集はそうはいかない。
  眺めていて心地よいものでは決して無い。

  ここに集められた約100点ほどの写真は
  世界中のフォット・ジャーナリストたちによるものである。
  科学技術や産業の飛躍的発達が20世紀における”光”の側面だとすれば、
  これらの写真が紡ぎだすものは20世紀のもうひとつの側面、”闇”の部分である。
  射す光が明るく強いほど、その背後に浮かび上がる影が濃いように、
  この本の示す闇は、どうしようもなく、深く鋭い。

  大気汚染、森林伐採などの環境破壊、
  大量生産・大量消費による廃棄物の問題、
  化石燃料などのエネルギーなどのエネルギー問題、
  核・テクノロジー、
  戦争、
  差別・迫害、
  難民、
  そして貧困。
  そういった、普段、僕らの前から隠されている部分が、この本の中で、暴かれている。

  これらの写真を見てわかることは、地球は有限である、ということ。
  無限とか永遠などといったものは幻想でしかなかった、ということだ。
  そして、これらの幻想こそが、あらゆる問題を生み出した、
  根本的原因でもあるように思う。

  今や、我々人類は子供の世代、孫の世代、その次の世代と、
  将来に残されるべき再生の利かぬあらゆる資源を食い潰して生きているらしい。
  そういった借金生活の上で、今の妙に明るい世界が成り立っているらしいのだ。
  困ったことに、どうも、そのツケは返せそうにない・・・。
  今では、地球は時限装置付きの惑星である。
  それを仕掛けたのは、20世紀はじめには15~16億ほどであったのが、
  今世紀には60億を越えた、我々人類である。

  一杯のコーヒーを飲みつつ、この本をちょっと眺めてみる。
  そんな、少し気分のふやけた時に、不意にすっと深く忍び込んでくる自戒の書が、
  この『百年の愚行』である。


  + Think the Earth のWEBサイト
[PR]
# by plus-zero | 2008-05-14 19:52 | 読書
+ 『あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑』(建築士・岡本美穂)      ― NHK教育 ―
f0037748_1182659.gif       
       5月17日(土) 22:00~22:25    
       5月22日(木) 19:30~19:55 (再放送)


+ 私が去年まで勤めていたアーツ&クラフツ建築研究所での作業風景が、
  NHK教育『あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑』で紹介されます。
  かつての同僚、岡本美穂の仕事ぶりが観られるようです。
  アガリ性の彼女の奮闘ぶりが楽しみです!
[PR]
# by plus-zero | 2008-05-11 01:23 | 雑記
+ 『 the garden 』           - 監督:デレク・ジャーマン -
f0037748_1357445.jpg


+ この世の楽土。
  イギリスのケント州、ダンジェネス。
  その広大な荒れ地の中の、わずか30坪ほどの庭に、
  その楽土は、あった。

  かつて、大地は楽土(パラダイス)であった。
  しかし、いつしか、楽土としての自然を失ってしまっていた。
  荒廃した社会から宗教が生まれたように、庭園も失楽園から生まれた。
  庭園とは、その失ってしまった楽土を、人工的に外界へと造形する試みに他ならない。
  庭園にはどこか、彼の世の楽土への夢想を隠し抱いている。
  だから、いくら完璧に手入れが施されようと、庭園には完成というものがない。
  それは持主の死によってのみ、遂げられる。

  イギリスの映像作家デレク・ジャーマンは、自身がHIV陽性であることを知った後、
  ダンジェネスの荒廃した土地の中に漁師小屋の売り家を見つけ、そこに住みつく。
  そして海水にさらされた流木や骨、穴のあいた石、貝殻、錆びた鉄とともに、
  数々の野菜や花々による、恐らくは危険で最悪な土地での、
  奇妙で美しい庭造りがはじまる。
  なぜなら、この土地での一日は小鳥のさえずりではなく、
  近くにある巨大なダンジェネス原子力発電所の始業のチャイムとともに始まるのだから。
  彼は核で入れた茶を飲み、小象のような咳をしながら、庭造りをつづける。
  その庭は、地平線に浮かぶ巨大な原子力発電所のシルエットの前で、
  その地上の人工の太陽による、ある種の神々しさをまとった光によって、
  よりいっそうの妖しい輝かしさを増してゆく・・・。

  この映画は、この庭を舞台として、デレク自身の心象風景、キリスト教、
  そして現代社会がコラージュされた、そして
  「偽りの言葉で沈黙を満たそうとするな」
  という彼の言葉どおり、ほぼサイレント・ムービーである。
  数少ないセリフはほぼすべて、現代社会を象徴するものでしか、無い。

  庭がほぼ完成に近づくにつれ、
  病に侵されているデレクの体は衰えてゆき、そして眠りにつく。

  『私はもう言葉もない 
   私の震える手ではこの怒りを表せない 
   ただ悲しみだけがある』
                             - デレク・ジャーマン -

  主を失ったその庭は今も、
  その沈黙の中で、デレクのメッセージを育んでいるのかもしれない。
[PR]
# by plus-zero | 2008-05-09 09:24 | 雑記
にほんブログ村 デザインブログ 建築デザインへ
にほんブログ村